中学受験は母と二人三脚

小学校4年生から塾に通い始め、中学受験を経験しました。

偏差値70ほどの中高一貫の女子校に進学し、大学受験。
都内の大手家電量販店に就職、7年間の社会人生活を経て結婚。
現在は、千葉県で主婦業に励んでいます。

小学生だった当時、中学受験に興味のなかった私は、教育熱心な母に受験校選びを全て任せていました。
まわりの友達は、○○中の制服がかわいい!などと盛り上がっていましたが、私は全くついていけませんでした。

母は、女子中最難関の桜蔭に入れたいと考えていました。
第二志望として豊島岡女子学院、すべり止めとして江戸川取手を考えていました。

御三家である桜蔭中や女子学院中の試験日が2月1日、豊島岡は2月2日・3日・4日のため、
豊島岡は御三家に落ちた子が行くというようなイメージでした。

東京の試験解禁が2月1日ため、肩慣らしとして千葉県の江戸川取手を1月中旬に受験するところから始めました。
江戸川取手にまさかの不合格をしたため、慌てて開智を受験しました。

母が積極的に協力してくれた

小6になると、塾は週に4日、毎週日曜日には模試がありました。
教わったことが週末にはすぐにテストされるので、単語帳を作ったり、チェックシートを使ったり、必死で覚えました。

算数の文章題が苦手で仕方ありませんでした。文章を図に起こすという作業をひたすら繰り返し、パターンを定着させていきました。

母が積極的に協力してくれました。
白地図を拡大コピーして厚紙に貼付け、県ごとに切り取り、手作りでパズルを作ってくれました。

母子家庭で家計も余裕がなかったので、教材をたくさん買うことはできなかったのですが、親子二人三脚で受験に取り組みました。
社会の年号暗記は、単語帳にまとめ、毎日繰り返し覚えていきました。これも母が手伝ってくれました。

最初の受験に躓きつつも...

1月中旬に受けたすべり止めの江戸川取手は不合格。母がびっくりして笑っていました。
慌てて塾に相談し、開智を受験。3次試験で募集は少なかったですが、A特待で余裕で合格しました。

2月1日は第一志望の桜蔭中。不合格でした。

2月2日の豊島岡は補欠。2月3日は豊島岡の2次試験の予定でしたが、開智に行く気はなかったので、江戸川取手の2次をリベンジで受験し合格。
2月4日に豊島岡の3次を受け合格し、私の受験が終了しました。
豊島岡に進学しました。

一生ものの教養がみについた

小学校の時は、毎週毎週テストで、結果が悪いと母に叱られうんざりでした。
たくさん泣きました。
しかし、進学校に進み、話の合う仲間たちと過ごすかけがえのない時間、そこで培われた教養は一生役に立ちます。

母子家庭で貧しかったですが、それでも高い学費をかけて学を身につけさせてくれた母に今は感謝しかありません。
親の言うことは決して間違っていません。すべてあなたの将来を思ってくれてのことです。
いつか感謝する日が来ます。頑張ってください。